2011年5月18日水曜日

5/17 結果からプロセスへ

 17日(火)の「演劇的ニュース」。

1. 原発事故調査委員会問題

 朝日新聞:原発事故、年内にも中間報告 菅政権が収束に工程表

 河野太郎ブログ:国会の下に事故調査委員会をつくれ


 重要なのは結果ではなくプロセスである。恐ろしいのも結果ではなくプロセスである。なぜならプロセスが結果を生むのだから。この点に関する意識が「権力のチェック機関」としてのメスメディアに欠けているように思う。

 政府は、東電の福島第一原発の事故調査委員会を政府の下につくろうとしている。しかし政府の働きをチェックする機関を政府が設立し、政府の働きをチェックする委員を政府が任命するとき、そんなチェック機関は信頼できるだろうか。河野太郎氏はその点を指摘している。当然の指摘だと思う。

 ところで、こうした点になかなか敏感になれず、事故調査委員会が設立されるという結果だけを見てしまいがちになるのは、マスメディアの能力・体質の問題だけでなく、「日本語」の問題であるとも考えられる。朝日新聞の記事には以下のようなくだりが含まれている。

「事故の調査・検証」の項目では、国際原子力機関(IAEA)と日本政府のそれぞれの調査をもとに、6月20~24日に開かれる予定のIAEA閣僚会議で結果を公表する方針を明示。それとは別に、原子力専門家ら10人程度でつくる事故調査特別委員会を5月中にも立ち上げる。事故原因の究明や再発防止に向けた検証を進めてステップ2が終わる年内にも中間報告をまとめる。

 首相は委員会について(1)従来の原子力行政からの独立性(2)国民や国際社会への公開性(3)制度や組織的なあり方を含めた包括性の3原則を提示。中間報告作成の際、経済産業省原子力安全・保安院や内閣府原子力安全委員会など複数に分かれた原子力行政の是非も論点とし、その後の見直しにつなげる狙いだ。

「原子力専門家ら10人程度でつくる事故調査特別委員会を5月中にも立ち上げる」という文章を書いたひとは、英語なりドイツ語なりの外国語をまともに身につけたことはないだろう。どこでそれがわかるかと言えば、この文章には主語がないからである。「誰が」特別委員会を立ち上げるのか。日本語はそれを明確にする必要がない。次の段落に「首相は委員会について」と書いてあるから、間接的に首相が立ち上げるものと推測されるが、まったく主語が不明確な文章である。

 日本語がこうした言葉だからこそ、常に「行為」という「結果」ばかりがクローズアップされる。委員会が立ち上げられたとか、悪が裁かれたとか、お金が流れたとか。こうした事態に接すると、グローバリゼーションも英語化もまったく結構だと思ってしまう。プロセス、主語、責任の所在を明確に問題化できる言語が言論には不可欠なのだから。

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