2011年5月10日火曜日

5/10 応用不可能性について

 本日のニュース。

1. 独エネルギー会社RWEが政府を訴える

 全然「本日のニュース」ではないが、ようやくことの成り行きをチェックした。

 独Welt

 菅総理大臣の「要請」とは異なり、ドイツの原子力法では「生命、健康、財産に対する危険が存在するとき」政府が原子力発電所の停止を命令できる。メルケル首相はこの法律に基づいて7基の原発を停止した。ところがエネルギー会社RWEに言わせれば、停止を命じられた原発は安全基準を守っており、「生命、健康、財産に対する危険」は存在しない。今回の命令は政治的な要請のもとに下されており、法的根拠がない、ということのようだ。

 これが法治国家の議論だと思う。日本のように法的根拠のない「要請」を「空気」で押し付けることが許されてはならない。今回は民意に適っていたとしても、いつかとんでもない「要請」が降ってくるかもしれない。そのとき「原発の前例があるじゃないか」と言われては困るのだ。

 そもそも「原子力災害特別措置法」などという立派な名前の法律がありながら、非常事態でも政府が原子力発電所の停止命令を出せないというのはおかしなことだ。場合によっては一国の国土、国民、生活、さらには経済や海外でのブランド価値が失われてしまう原子力災害。それを避けるための命令を行政機関が発令できないということは考えられない。福島の事故が判明した時点でこの法律をただちに改正し、それによって浜岡原発の停止命令を出すことはできなかったのだろうか。


2. リビア反政府軍への武器供与、伊と仏で対応分かれる

 フランスはリビア反政府軍への武器供与を否定し、イタリアは輸出するらしい。

 独Spiegel1 独Spiegel2

 日本が武器輸出国になればよいとは思わないが、「世界史」への参与の仕方の違いを、こうしたニュースに接するときに強く実感する。


 日本が行っていることは議論として他国に理解不能なことが多すぎる。今日の原子力安全委員会の発言「SPEEDIの数字を出すか出さないかという点については明確な意志決定はなされていない。数値は皆見て高いと思ったが、特段中で議論はなかったので公開しなかった。議論もなかったので誰に責任があったかということも答えづらい」もそうだ。決定もなく、責任もなく、明確でなく、「空気」でしかない。そんなものは理解不能だ。理解不能なことはモデルにならない。したがって参照も応用もされない。広まらない。「世界史」にならない。「世界史」になってほしいとか、「世界史」になることが偉いとか、そういうことではないが、他の国にも理解されるような合理的なやり方をとれないことは、この国にとってこれまでもこれからも大きな損失だと思う。

 政治だけでなくあらゆるレベルで、まともな議論、まともな決定、まともな責任を実現する必要がある。ツイッターをはじめとしてインターネットをその教育機関として発展させなければならない。

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