言葉を自然に身につけるのではなく、意識的に学ぶときは、せっかくだから細かく学んだほうがよい。
ドイツ語の単語を辞書で引き、日本語の意味を暗記するのではもったいない。効率が悪すぎる。生産性が低すぎる。せっかく一度辞書を引くなら、ドイツ語の単語がどのように成立し、もともといかなる意味をもっていたかを考えるだけで、得るところはずっと多くなる。
たとえば「erzählen」という語を辞書で引くと、「物語る」と出る。名詞形「Erzählung」なら「物語」である。しかし「erzählen」を分解してみると、この語が「er」と「zählen」からなり、前者は「獲得」、後者は「数える」を意味し、全体として「数えることで獲得する」が原義と知られる。すなわち、「数の数え方」こそ「物語」だ、ということである。これはたとえば、「西暦」で数えることと「昭和・平成」で数えることでは、異なる物語が獲得されることを意味する。「erzählen」の原義は「数え上げる」ことだったらしいが、「数え上げる」ことが「獲得」へとつながる、言葉の咒術性のようなものを感じさせ、興味深い。
他にも、「判断する urteilen」は「一番最初の ur」「分割 teilen」であるなど、考える糧になる言葉は多い。こうした作業によって、日本語の語源や意味の変遷にも敏感になり、言葉のなかに人類の歴史が詰まっていること自体が楽しくなれば、語学学習の生産性はかなり高くなるはずである。
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