以前書いたとおり、ドイツ語授業では個々人の学習の目的や意欲に合わせて個別にプログラムを組んでいる。
それでも全ての授業に共通して大切にしていることは、語学学習を通じて自分のなかに「自分自身のチェック機関」をつくること、である。
外国語は、自分自身の言葉の使い方や、ものごとに対する偏見、思い込み、傾向をある程度批判的に把握できなければ、決して上達しない。偏見や思い込みは誤読・誤訳を生むし、自分の言葉使いと外国語の性質の差異に気づけなければ適切な表現はできない。「わたし」と「わたしの言語」を相対化することが必要なのである。
もちろん偏見や思い込みが消え去ることはない。しかしともかく重要なのは、自分自身の内部に自分の読解や表現が正しいかどうかを問い直し続ける「声」をもつことだ。それが「自分自身のチェック機関」である。「自分自身の監査役」と言ってもよいだろう。「この文の解釈は本当に正しいか?」「この単語にはなにか別の意味が込められてないか?」「この表現で自分の言いたいことは言えているか?」、こうした「声」を常に響かせることができるなら、語学力は飛躍的に伸びる。あるいはこうした「声」を響かせる習慣そのものを「語学力」と呼ぶのかもしれない。
具体的なことを言えば、わたしは翻訳や作文の課題を提出してもらった場合、「模範解答」を示すことはせず、誤読や誤った表現にチェックを入れ、そのまま返す。その上で学習者自身にもう一度考えてもらう。「模範解答」を示すのは簡単だ。「模範解答」は手品と一緒で、タネを明かせばたいていは「なんだ、そんなことか」で済んでしまう。ところがそれを自分自身で探し出すのは非常に難しい。自信をもってつくった翻訳や作文のなかに自ら間違いを探し当てるのは容易でない。しかしそれができなければ言葉を使う者として自立できない。自分を疑い、問い直し、更新していくこの作業は、時間はかかるが、語学学習者が今後の人生で一人でその言葉を使っていくためには必要不可欠なのである。わたし自身も、いまだにこのことに気をつけながら日々トレーニングを続けている。
「自分自身のチェック機関」をつくることは語学学習の直接の目的ではなく、必要条件であり、また副産物である。しかし「自分自身のチェック機関」が「声」を響かせるこの状態を少しずつ構築できることは、語学にとどまらない価値があるのではなかろうか。「語学を学ぶ意義」の一つは、こうした部分にもあると思うのである。
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